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【2022年12月9日公開決定】ネタバレなしであらすじを解説!辺見じゅん「収容所から来た遺書」書評

ネタバレなしであらすじを解説!辺見じゅん「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」書評Book

今年の冬に公開予定の映画の原作本を紹介します!

収容所から来た遺書 / 辺見じゅん

今回は、1989年文藝春秋から出版されました辺見じゅん 著「収容所から来た遺書」というノンフィクション本を紹介します。

こちらの本は第21回大宅壮一ノンフィクション賞・第11回講談社ノンフィクションを受賞した作品です。

著者は辺見じゅんで、著書は本作以外に以下があります。

  • 「呪われたシルクロード」
  • 「男たちの大和」(第3回浅田次郎文学賞受賞)
  • 「昭和の遺書」
  • 「闇の祝祭」(第12回現代短歌女流賞受賞)
  • 「レクイエム・太平洋戦争」
  • 「夢、未だ盡きず」(第9回ミズノスポーツライター賞受賞)
  • 「ダモイ遥かに」

そういえば著書「男たちの大和」も2005年に映画化されましたね

この記事を読んで分かること
  • 2022年冬に公開予定の映画「ラーゲリより愛を込めて」の概要
  • 「収容所から来た遺書」のあらすじ、本を読んだ感想
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2022年冬 公開決定!「ラーゲリより愛を込めて」出演は二宮和也、北川景子

今回紹介する「収容所から来た遺書」ですが、今年の冬に映画が公開される予定です

ちなみに映画のタイトルは「ラーゲリより愛を込めて」です。

映画『ラーゲリより愛を込めて』公式サイト
二宮和也 映画主演最新作! 日本最高峰のスタッフで挑む、知られざる愛の実話― 珠玉の人間讃歌、心震わす感動巨編、誕生
  • 出演:二宮和也、北川景子
  • 原作:辺見じゅん
  • 監督:瀬々敬久
  • 脚本:林 民夫
  • 企画プロデュース:平野隆

出演者は、主人公の山本幡男役に二宮和也、そして山本の妻である山本モミジ役に北川景子が決定しています。

また映画監督は「8年越しの花嫁 奇跡の実話」「64-ロクヨン- 前編/後編」など数々の映画賞を受賞し、社会派ドラマから恋愛物語まで幅広く手がけている瀬々敬久が務めます。

そして脚本は「永遠の0」「」などを手がけた林民夫が担当します。

またツイッターで映画「ラーゲリより愛を込めて」の公式アカウントも公開されています。

二宮さんは「硫黄島からの手紙」でもその演技力が高く評価されてましたし、今回も社会派の映画として実在の人物をどのように演じているのか楽しみですね

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「収容所から来た遺書」のあらすじ

収容所から来た遺書の表紙とパソコン

1948年(昭和23年)9月下旬、ソ連のウラル山中の街、スベルドロフスクの駅を発った貨物列車はシベリア鉄道を東に向かっていました。

それはスベルドロフスクの収容所(ラーゲリ)で2年半近く俘虜生活を送った500名の日本人たちを乗せた帰還(ダモイ)列車でした。

1945年(昭和20年)8月の敗戦後にソ連軍に捕らわれて、その後満州からスベルドロフスクの収容所に2年半の間収監され、ようやく釈放されて祖国日本に帰るところでした。

その帰還列車に乗っていた松野輝彦は、同じ収容所で過ごした「山本幡男」と一緒に窓の外を眺めながら、もうすぐ日本に帰れるという喜びを感じていました。

この山本幡男は、元々満州鉄道の調査部で勤めており、ロシア語も堪能なため、収容所でも捕虜としてソ連側との通訳をしていました。

「おー、湖だ、バイカル湖が見えたぞ!」

「バイカル湖までくれば、今度こそ本当にダモイ(帰国)だよ」

「大丈夫ですかね、本当に」

「大丈夫だよ」

山本はいかにも確信ありげに断定しました。

というのも、松野はある噂を聞いていました。

それは終点のナホトカには検閲所があり、そこでの人民裁判で最終的に日本へ帰すか否かの思想審査が行われて、そこで不適格と判断されると再びシベリアの奥地に送り返されるというものでした。

山本はロシア語が堪能でスベルドロフスクの収容所からずっとソ連軍との通訳をしています。

その山本から「大丈夫」と確信に満ちた言葉を聞かさましたが、松野はなぜか不安な気持ちを打ち消すことが出来ませんでした。

そして出発から20日たち、もうすぐソ連の東にあるハバロフスクに着こうとしていました。

ハバロフスクまで行けば、日本への帰還船が待つナホトカ港まで一昼夜ほどの距離です。

ところがそこで貨車が急停車をします。

そして貨車の鉄扉が引かれ、ソ連軍将校が数人の兵士を連れて列車に乗り込んで来ます

ソ連将校は車内を見回すと「通訳(ペレヴォ)はどこだ」と怒鳴ります。

そこで山本が将校の前に出ると、将校は山本に書類を突き出しロシア語でまくし立てました。

その時松野は(片言程度のロシア語は理解できるので)将校が言っていることがなんとなくわかりました。

今から名前の呼ばれた者は装具を持って列車から降りろ

そして山本は書類に書かれた名前を読み始めました。

10数名の名前を次々と読み上げたところで、山本は不意に言葉に詰まります。

山本幡男

と自分の名前をいい、残りの何名かの名前を読み上げました。

あちこちで名前を呼ばれた男たちが重たい動作で腰を上げ、通路に立ちました。

そして山本は、松野のそばまで来ると

お元気で」と小声で言い、他の男たちとともに通路に立ちました。

そして、ソ連兵にせきたてられながら、山本たち20数名が次々に貨車から降ろされて整列させられました。

下車した一行は、銃を構えたソ連兵に囲まれて重い足取りで闇の中へ行進を始めました

残った男たちは一行の後ろ姿が闇に紛れて消えるまで、列車の扉から息をつめて見守っていました。

この雪の中を、いったいどこへ連行されていくのか

そして、それが松野が山本を見た最後の姿でした。

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「収容所から来た遺書」を読んだ感想

冬の収容所

この本に書かれていることは実話であり、登場人物も全て実在の人物です。

そして、終戦後10年もの間、戦争犯罪人としてソ連の強制収容所に送られ、過酷な労働をさせられていた日本人がいたということは、同じ日本人でも意外と知らないのではないでしょうか

この本の主人公である「山本幡男」は、満鉄の調査部におりロシア語も堪能だったため、ソ連側からスパイの容疑がかけられ、戦争犯罪人として終戦後も強制収容所に送られます。

特にソ連側から目をつけられたため、強制収容所でも壮絶ないじめにあったり、非情な迫害を受けたりします。

それでも山本は、日本にいる妻や4人の子供のためにいつか日本に帰ること(ダモイ)を信じて、強制収容所での過酷な労働に耐えます。

そして、山本は一緒に強制収容所にいる日本人の仲間をも鼓舞し、頑張ってみんなで日本に帰ろうと励まします。

戦後、ソ連の強制収容所に収監された日本人は60万人と言われています。

そしてそのうち、強制収容所で亡くなった方々は7万人、およそ1割の日本人がソ連の強制収容所で亡くなりました

これだけでもいかに強制収容所が劣悪な環境で、非人道的な労働が行われてきたかということがわかります。

その中で希望を捨てず、いつか日本に帰れると信じて過酷な労働に耐えてきた日本人がいたということをこの本を通じて知ることが出来ました。

そして本のタイトルとなっている「収容所から来た遺書」ですが、そもそも収容所で亡くなった場合に遺書を残すことは出来ません

というのも強制収容所では、囚人である日本人が紙を持つことも、ましてや外に持ち出すことも絶対に不可能だからです。

では、どうやってその遺書を日本で待つ家族に届けたのでしょうか。

そして、この遺書を祖国日本で待つ家族に届けるために、彼らは驚くべき方法を取ります。

その方法こそが、この本そして映画の一番の見どころだと思います。