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【第68回 中学校 課題図書】千野境子「江戸のジャーナリスト 葛飾北斎」書評

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今回は読書感想文全国コンクールの課題図書(中学校の部)を紹介したいと思います

江戸のジャーナリスト 葛飾北斎 / 千野境子

こちらの本は、2021年に国土社より出版されました、千野境子「江戸のジャーナリスト 葛飾北斎」です。

この記事を読んで分かること
  • 青少年読書感想文全国コンクールの課題図書の概要
  • 「江戸のジャーナリスト 葛飾北斎」のあらすじ、本を読んだ感想
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青少年読書感想文全国コンクールの課題図書

こちらの本ですが、第68回青少年読書感想文全国コンクールの課題図書となっています。

課題図書は「小学校低学年」「小学校中学年」「小学校高学年」「中学校」「高等学校」に分かれていまして、今回の「江戸のジャーナリスト 葛飾北斎」は「中学校」の課題図書になっています。

■小学校低学年の部

題名著者出版社
つくしちゃんとおねえちゃんいとうみく 作
丹地陽子 絵
福音館書店
ばあばにえがおをとどけてあげるコーリン・アーヴェリス ぶん
イザベル・フォラス え
まつかわまゆみ やく
評論社
すうがくでせかいをみるのミゲル・タンコ 作
福本友美子 訳
ほるぷ出版
おすしやさんにいらっしゃい!:生きものが食べものになるまでおかだだいすけ 文
遠藤宏 写真
岩崎書店

■小学校中学年の部

題名著者出版社
みんなのためいき図鑑村上しいこ 作
中田いくみ 絵
童心社
チョコレートタッチパトリック・スキーン・キャトリング 作
佐藤淑子 訳
伊津野果地 絵
文研出版
111本の木リナ・シン 文
マリアンヌ・フェラー 絵
こだまともこ 訳
光村教育図書
この世界からサイがいなくなってしまう:アフリカでサイを守る人たち味田村太郎 文学研プラス

■小学校高学年の部

題名著者出版社
りんごの木を植えて大谷美和子 作
白石ゆか 絵
ポプラ社
風の神送れよ熊谷千世子 作
くまおり純 絵
小峰書店
ぼくの弱虫をなおすにはK・L・ゴーイング 作
久保陽子 訳
早川世詩男 絵
徳間書店
捨てないパン屋の挑戦:しあわせのレシピ井出留美 著あかね書房

■中学校の部

題名著者出版社
セカイを科学せよ!安田夏菜 著講談社
海を見た日M・G・ヘネシー 作
杉田七重 訳
鈴木出版
江戸のジャーナリスト葛飾北斎千野境子 著国土社

■高等学校の部

題名著者出版社
その扉をたたく音瀬尾まいこ 著集英社
建築家になりたい君へ隈研吾 著河出書房新社
クジラの骨と僕らの未来中村玄 著理論社
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「江戸のジャーナリスト 葛飾北斎」のあらすじ

葛飾北斎は1760年9月23日、現在の東京都墨田区亀沢で生まれました。

幼名は時太郎、後に鉄蔵と名乗ります。

幼少期から絵が好きで、物の形に興味を示してそれを模写していました。

そして10歳の時に、貸本屋の小僧として働き始めます。

そのころの貸本屋には、流行の浮世絵や挿絵入りの読み本など、北斎少年にとって魅力的なものがたくさんあり、この頃から浮世絵に興味を持ちます。

そして15歳頃からは彫り師に従事し、木版印刷の版木の文字彫りを始めています。

それから19歳の時に、当代一の人気浮世絵師と言われた「勝川春章」に弟子入りします。

春章は歌舞伎役者の似顔絵を得意とし、弟子も大勢いました。

ですが、北斎の才能は春章の目にすぐに止まったようで、わずか1年で北斎は「勝川春朗」の雅号を与えられ、浮世絵師としてのデビューを果たします。

師の期待に応え、春朗こと北斎は役者絵に精進し、美人画や相撲絵、挿絵などあらゆる分野に挑戦しました。

北斎の春朗の時代は15年ほど30代半ばまで続き、この間に家庭を持ち、後に浮世絵師となる娘のお栄(雅号は「応為」)も生まれます。

しかし、北斎は勝川派として活躍する一方で、密かに狩野派の狩野融川の門をくぐっていたことが発覚し、勝川派を破門され「春朗」の名前も返上します。

この背景として、才能のある北斎と兄弟子たちとの間で、仕事をめぐる競争心や功名心、嫉妬心などさまざまな確執がありました。

勝川派を去って一匹狼となった北斎は、食うや食わずで苦しい日々が待っていました。

それでも北斎は、狩野派意外にもさまざまな流派、さらには洋風画にも関心を広げ、ひたすら画業の研鑽を続けます。

そして、35歳の時に光琳画法の継承者で知られる「俵屋宗理」を継いで、二代目宗理を名乗ることになります。

この時代の北斎は、華やかな琳派を吸収したことで画風が新境地を開いてゆき、色摺版画や絵暦などの摺物が大評判となり、北斎の人気がブレークします。

この頃、喜多川歌麿や東洲斎写楽を見出した蔦屋重三郎が北斎の才能に注目し、当時大変なブームだった狂歌絵本の挿絵の仕事を任せられます。

ですが、39歳の時に琳派を離れて独立し、そして8年後の47歳の時についに「葛飾北斎」を名乗ります。

翌年、北斎は戯作者の滝沢馬琴の読み本「椿説弓張月」の挿絵を受け持ちます。

馬琴とは以前からコンビを組んでいましたが、この作品の大ヒットで二人はいち早く有名人となります。

またこの作品は5編29冊という大長編の読み本で、大成功に終わります。

ですがその後、滝沢馬琴と絵に対する考え方の違いから対立し、馬琴と北斎は絶交してしまいます。

そしてその後の北斎の足跡を辿ると、葛飾北斎ならではの大作や傑作はこの後に次々と生み出されます

馬琴と決別した翌年、北斎が53歳の時に世界に北斎の名を決定づける「北斎漫画」を描き、2年後に刊行すると大ヒットし、それから10数年にわたるロングセラーとなります。

ですが、無理がたたったのか60代後半に中風(脳卒中)で倒れてしまいます。

しかし後遺症もなく、その後70代、80代と絵を描き続けることになります。

そして北斎はその後も自由で賑やかな活動を続けていきます。

北斎の傑作「富嶽三十六景」は72歳の時に発表されます。

そしてその3年後の75歳の時に「富嶽百景」が発表されます。

そしてその後も製作意欲は衰えず、90歳で亡くなるまで実に3万点を超える作品を残します。


19歳で絵師・勝川春朗としてデビューして以来、実力派の北斎はいつの時代も水準を超える作品を世に送り出し、時代の最先端を常に歩いてきました。

それでも、今日も残る「これが葛飾北斎」という真骨頂、オリジナリティの確立はやはり後年にありました。

まさに継続は力なり、北斎は今日の「人生百年時代」を二百年も前の江戸時代に見事に先取りした絵師でした。

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「江戸のジャーナリスト 葛飾北斎」を読んだ感想

本作品を読んで最初に思ったこと、それは「葛飾北斎とピカソは似ているな」ということです。

葛飾北斎もピカソも90歳近くまで長生きし、その生涯でとんでもない数の作品を残しています。

以前にアダム・グラントの「ORIGINALS」の書評でも触れましたが、その分野で成功している人は必ずと言っていいほど多くの作品数を残しています

そういった意味でも、葛飾北斎の作品が時代を超えて人々に影響を与えている点として、人生をかけるほどの創作意欲があり、沢山の作品を常に作り続けた結果だと感じました。

また、相当な変わり者だったみたいで、例えば起きている間は布団にくるまって絵を描いていたり、絵を描く以外は全く家事をしなかったため家がゴミ屋敷になっていたと言った逸話がありました。

また75歳には葛飾北斎という名前から「画狂老人卍」という雅号に改めます。

正直、ヘビメタバンドみたいな名前ですが、75歳になっても絵に対する異常なほどの執着心を持って、生涯絵を描き続けたはすごいなと感じました。(名前はダサいですが)

そしてもう一つ感じたのは、常に新しいものを取り入れる柔軟さがあったなということです。

例えば、勝川派で雅号も貰いながら狩野派と交流を持ったり、オランダとの外交のみ許された時代でしたが、オランダ経由で常に海外の油絵や技法、構図なども参考にしていた点

また、ベロ藍と呼ばれる顔料から作られたドイツ産の絵の具を、いち早く自分の作品に取り入れたりなど

とにかく、新しいものや良いものは取り入れるという柔軟さが葛飾北斎にはあったんだなと思いました。

そして、取り入れたものを真似るだけでなく、独自の視点で表現する点などが、まさしく本のタイトルにもある「江戸のジャーナリスト」だったんじゃないかなと感じました。